「望月しょうせいどう」の美肌と健康情報

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かぐや姫の手紙

Author:かぐや姫の手紙
霊峰「富士山」を仰ぎ見るJR富士駅前商店街で、薬屋を開業して105年。
「皮膚・漢方・サプリメントの専門店として地域の元気を応援しています。
自律神経失調にお悩みの方、アトピー・アレルギー・イボでお悩みの方ご来店下さい。
お悩みに応じた様々なスキンケア化粧品を数多く揃えております。

※『健康情報』などは、店主tasogareが担当。
※『スキンケア情報』などは、fuji・bijinが担当しています。

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富士本町おかみさん会 『ストリートギャラリー』

富士駅開業100年を祝って、「富士本町おかみさん会」で所蔵している昔の写真のパネル展を開催しています。
何度も展示しているのですが、大変反響がありビックリしております。
前回は、富士市交流プラザで展示いたしましたが、その折に今は亡きお父様の写真を発見なさった方があり、コピーをして差し上げました。
今回は、若い頃に大渕から一時間半もかけて通った「大芝裁縫女学校」の写真。
大芝校長先生が懐かしい!と、わざわざ見にいらして下さいました。
お友達が、近くの整形外科医院に通っていて、道すがら発見なさったそうで、電話連絡があったそうです。
鈴木さんのお母さんと娘さん。今日は母の日でしたので、いい親孝行ができましたね!
鈴木栄さん
この写真を提供していただいた方に伺ったところ、明治37年生まれのお姑さんが写っているので、大正10年代ではないかとのことでした。
大芝女学校卒業式

授業風景(富士博物館所蔵)

授業風景
<大芝裁縫女学校について>   記念碑が残っています
大正6年(1917年)4月5日、当時の加島村水戸島400番地に設立開校となった私立大芝裁縫女学校があった。この学校の創立者は蓼原出身の大芝亀次郎であった。大芝は明治8年(1875)2月の生まれで、加島小学校初等科を卒業後二年間中学予備科に学び、その後、田子浦および加島小学校の代用教員となり、その間の前後四年ほどは夜間、休日に深井譲の塾生となって国語・漢文・英語などを勉学した篤学の士であった。
そして明治三十年(1887)三月末、静岡尋常師範学校を卒業、再び田子浦小学校の訓導となり、後に柚野(ゆの)村(現芝川町)および伝法村(現富士市)各小学校の訓導兼校長を歴任したが、明治43年(1910)10月には鹿児島県へ出向、同県師範学校教諭となり、大正三年(1914)春には、同県川内(せんだい)の群立実家高等女学校に転じて校長となった。そして大正六年(1917)3月9日、同士がまだ鹿児島に在任中、大芝裁縫女学校設立の認可を本県知事から得たのである。

 いまその創立の動機を伺うと、静岡県は気候・風土に恵まれ、人文も豊かで産業も発達しているが、住民性としてその多くは安易に流れ、ねばりに乏しく、かつ重厚味に欠けている風がないとは言えず、誠に遺憾なことである。これに鑑み、真にまじめにして実行力の強い人材を養成することは、実に緊要なことであり、かの明治維新当時、幾多の傑士を輩出した薩摩・長州藩を見ても、これすべて教育の然らしめたところであって、その根本は一に女子教育の啓培にある。ひるがえって思うに、地方中流家庭の主婦としての教養は、高等小学校卒業程度ではやや不足であり、さりとて当時の高等女学校ないし実業女学校の現状は、形式的に流れる傾向にあって実際的でない。それゆえに、これらの弊害に陥らず、よくこの土地の実情に即して、できるだけ少ない修業年数と学資とをもって、小学校卒業以上のもののため、さらに高い教養と婦徳の養成につとめ、あくまでも実際生活に必要な家庭における主婦のための教育を実施しようとするところにあったのである。その点六年有半にわたる大芝の鹿児島での教職生活の体験は、彼自身も言っているように、まさに開眼的役割をはたしたいわば貴重な留学期間だったのである。

 以上のような趣旨から、入学資格として普通科にあっては、尋常小学校(六年)卒のものは二ヵ年、高等小学校卒以上のものの選科は一年四ヶ月、また高等女学校卒には高等科として一ヵ年、ほかに裁縫専門の別科は年限に制限がなかった。そして履修学科としては、修身・家事・裁縫・を必修とし、国語・教育・数学(珠算を含む)を随意科目とし、入学試験は一切行わない代わりに、その後の学習を厳しくして、成績の評価を重視する方針をとったのであった。

 こうして同校は、戦争も苛烈化した昭和19年(1944)3月24日、すべてを戦力増強に捧げるため廃校のやむなきに至り、創立以来二十有七年余りの間に、凡そ3000名(内訳=高等科198名、普通化606名、選科1935名、別科78名、本科129名、洋裁科46名)にも達する卒業生を家庭の主婦として育て上げたのであるが、“大芝裁縫女学校”というその名は消えても、郷土地域社会に貢献した教育的意義は、同校の残した歴史とともに不滅のものとして永く記憶せらるべきであろう。(富士市史下巻より


街のあちこちで、こんな姿が見受けられます。この写真は、昔の本州製紙の工場で働く女工さんの写真です。また、いい写真を集めましょう!
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コメント

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#|2009/05/13(水) 22:54 [ 編集 ]
望月しょうせいどうさんへ
昔は、洋裁 和裁の学校がありましたけど20年前に殆んどなくなりました。
洋裁学校でた人が多かったので糸や針を売る店も多かったんですけど今は、糸や針を買うのも少ないし大変な時代になりました。
リリィ #Dq74ESy.|2009/05/16(土) 19:34 [ 編集 ]
リリィさんへ
和洋裁専門学校の減少は、専業主婦がいなくなったのと比例していますね。
こちらでも手芸品店が少なくなりました。


fujibijin #-|2009/05/17(日) 16:11 [ 編集 ]
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#|2014/04/13(日) 03:39 [ 編集 ]
Re: はじめまして。
コメントありがとうございます。
富士市にも女子教育に熱心に取り組まれた方々があり、その情熱に感動いたします。
大芝女学校や鷹岡の「富士文庫」など、人一倍の情熱を持った方々の力で、文化も育ってきたように思います。
学校はなくなっても、そこで共に過ごした時間は、思い出として残っていきます。
ご家族が、関係者であれば、代々語り次いで下さいね。
大きな富士山を仰ぎ見ながら、楽しく学んだ学び舎ですから。


かぐや姫の手紙 #-|2014/04/13(日) 11:33 [ 編集 ]

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