「望月しょうせいどう」の美肌と健康情報

「皮ふは内臓の鏡」といわれます。このサイトは、家族全員「素肌美人」をめざして、トータルな健康美を提案してまいります。

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かぐや姫の手紙

Author:かぐや姫の手紙
霊峰「富士山」を仰ぎ見るJR富士駅前商店街で、薬屋を開業して105年。
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自律神経失調にお悩みの方、アトピー・アレルギー・イボでお悩みの方ご来店下さい。
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※『健康情報』などは、店主tasogareが担当。
※『スキンケア情報』などは、fuji・bijinが担当しています。

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富士市鷹岡にある富士市立富士文庫に行ってきました。
富士市立図書館に生まれ変わって開館25周年ですが、それ以前は私設図書館として40年もの歴史が刻まれています。
その経緯は、当方のブログで紹介しております。
「街の図書館」→
富士文庫

セピア色の数々の写真は富士博物館蔵所蔵だったものです。私設図書館であった「富士文庫」は、
25年前、富士市に5万冊の貴重な資料を含む書籍を寄贈し私設図書館から富士市の公立図書館として、新たなスタートを切りました。
その折、博物館で展示された貴重な写真が再び「富士文庫」戻ってきました。
昔懐かしい展示写真を何枚か載せてみました。
敗戦後の殺伐とした日本人の心に吸い取り紙のように文化というビタミン剤が吸収されていきました。

佐野一夫氏     佐野一夫氏と石川館長

集合写真

サービスカウンター     閉館のお知らせ

廊下にて

書架の様子

閲覧室

閉館を惜しむ俳句会の皆さんの作品。
図書館主催の様々な文化活動が開催されました。
かつてこの図書館で司書をなさっていらした友人Tさんに、この写真を見ていただいたところ、懐かしいお名前が見つかり、胸が熱くなったと話して下さいました。
俳句①

俳句②

現在の松木館長さんや司書さんと、時を忘れて話が弾みました。
また、お目にかかりましょう!
松木館長

先日、千葉県在住のT氏より、丁重なお手紙をいただきました。
お手紙には、昭和30代にこの図書館を訪れたことなどが綴られていました。
T氏は、磐田市氏出身で、昭和・平成期の『静岡県史』の編纂事業で近世史(江戸時代)専門委員を勤めていらした方だそうです。
江戸時代の国学資料調査のために「富士文庫」を訪れた際、富士市の片田舎に資料としての稀覯本があったのでしょうか。その頃のことを懐かしく語って下さったお手紙でした。
そんな経緯もあり、「富士文庫」のパネル展に出かけました。
映像をT氏にお送りいたしましたが、喜んでいただけたでしょうか?
遠く離れた地で、「富士文庫」を見守っていて下さる方があり、図書館が心の拠り所として生き続けていることを感じました。


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2015/04/22 14:43|街の図書館TB:0CM:0
富士市のお宝「富士文庫」の蔵書について
このブログでも、何度か鷹岡地区の「富士文庫」について書いておりますが、「富士文庫」の蔵書について調べている花園大学史学科教授・堤美智子先生から「花園史学第29号」の抜粋版をいただきました。
「徒然草」などの古い稀覯本類が、この「富士文庫」に収められるまでの経緯は、それ自体が小説にもなりそうな大変興味深いものがあります。ちょっと長い文章ですが、書き写しておきます。

「富士文庫」

富士文庫所蔵「徒然草コレクション」旧蔵者・石上貫之(いしがみつらゆき)をめぐって
                                   ~花園大学史学科 堤 美智子~
 静岡県富士市久沢(旧富士郡鷹岡町久沢)に富士市立図書館富士文庫がある。
現在は市立の公立図書館であるが、前身は私立である。
 関係者の間では旧富士文庫と呼び慣わされている。土地の製紙機械製造会社社長、佐野一夫によって終戦直後の昭和20年9月10日に設立着手、昭和21年1月に許可を受け、同年4月15日から一般に無料公開された。
 富士文庫記念撮影
■ 旧富士文庫の設立地は旧富士郡鷹岡町で富士山の豊富な森林資源、潤井川の水や豊かな地下水に恵まれ、明治時代から砕木パルプを使用した製紙業で栄えた土地である。しかし文化的な社会施設に恵まれていなかったので、設立者佐野一夫は、“終戦の大変革に際し、万世に太平を開くは文化国家建設に他なしとして、終戦直後の混沌たる中に於いて公共図書館を設立したのである”(富士文庫概況の設立趣意書より引用『富士文庫報』昭和24年7月1日)

fujibunko/entrance

■旧富士文庫には富士山関係資料、製紙関係などの郷土資料と共に徒然草コレクション、万葉集コレクションがあり、特徴ある所蔵資料を誇っている。
 私立富士文庫は地域の青少年に勉学の場所として41年間親しまれたが、昭和62年3 月に閉館、富士市立図書館となった。
富士文庫(以下旧富士文庫を指す)には、閉館まで図書館長を勤められた石川軍治氏が精力的に発行し続けた謄写版刷りの館報『富士文庫報』(写真↓)があり、143号(昭和38年7月)に国文学研究者小松操氏が「徒然草集書につて」と題する記事を寄せている。コレクションの中の主要なものの解説と富士文庫へ蒐集された経緯にも触れている。

富士文庫報

■徒然草コレクション36部85冊は、昭和22年11月に購入された。旧蔵者は石上貫之。静岡市服織で明治16年に生まれ、昭和21年1月没。静岡市葵区羽鳥の久住山洞慶院に葬られた。
 石上は早稲田大学文学科英文学を卒業後、新聞社勤務を経て大正2年3月から昭和14年10月まで京都大学図書館司書として勤務。退職後は生まれ故郷静岡に戻って郷土の文人研究、文学研究に勤しんだ。研究の成果は京都帝国大学図書館在職中から雑誌『本道楽』に「東藁」名で、実に78編を発表した。その内半数近くは昭和6年12月から連載し始めた「沼津雑記」と題した記事である。たとえば沼津の城主、老中水野候の侍医中村元敬の『医務』『種痘』の書誌的紹介(昭和6年12月)、白隠禅師縁の地・原宿の松陰寺蔵版、自伝『壁生草(いつまでぐさ)』、『鬼薊(おにあざみ)』のこと(昭和10年11月)などを寄稿している。
本道楽
『本道楽』は古書蒐集を趣味としていた西ヶ谷潔が大正15年5月に静岡県清水市において創刊し昭和15年12月第173号まで約14年間発行し続けた。
発行所は茂林脩竹山房、実際の編集者は小山有言である。郷土の古典、奇書、珍書などの記事を有名、無名の執筆者が寄稿している。体裁は和紙に刷られ、袋綴じ一号平均ニ十から三十丁のものである。

■静岡は徳川家康の隠居地であり、また最後の徳川将軍慶喜が一大名となって移住したという土地柄のおかげか、一古書道楽者の発行する地方雑誌の題字に第二号から徳富蘇峰が揮毫し、新村出、森銑三、内藤湖南など京都帝大教授などの中央からの執筆もある。
 石上が京都帝大の図書館司書として勤め始めてから13年間の図書館長は新村出である。新村は『広辞苑』の編纂者として著名な国語学者である。実父は初代静岡県知事関口隆吉、旧幕臣で慶喜に従って江戸から府中に移住した人である。県知事として出張途上、鉄道事故で不慮の死を遂げている。生前、私財を投じて良書を集め、地域の図書館として公開する意図をもって、久能文庫と名づけ、明治19年主意書、計画書、規則などを作成した。明治22年の没後はその計画は止んでしまった。が後に県立図書館葵文庫に収められた。
 そのような人物の次男である新村出は京都帝国大学図書館長を明治14年から26年に渡って勤めた。
 新村は父の死まで、静岡に暮らし12歳でこれも旧幕臣新村家へ養子に出ているが毎年の実家墓参のおり同郷の司書、石上や、これも京都帝大の司書市村有済、書物趣味の同好の士たちとの楽しげな交流を随筆などに書き残している。

■時代は下るが最初に述べた富士文庫設立当時の県立図書館長加藤忠雄も設立者佐野の相談に乗り、援助を惜しまなかった。この加藤館長も新村出の追悼文『美意延年』の中で、「毎年の実父墓参の折には連絡があり、お世話をした」と述べている。新村を巡って、その父関口隆吉の縁で静岡の書物を愛する人々の輪、また文庫や図書館などの、広く書物文化を発展させたいとの心が、この地に確かに存在したと感じさせる。
 

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2009/01/28 13:00|街の図書館TB:0CM:8
「富士文庫」その②

東京都内の大学のキャンパスが、こぞって郊外へ引っ越してしまう前、学生たちでごった返していた頃の東京神田神保町(じんぼうちょう)界隈。大好きな町でした。お茶の水から坂を下って神保町交差点のそばに老舗の古書店八木書店があります。この「八木書店」前の横断歩道が本日のお話です。
今回は、京都の花園大学史学科教授の堤美智子先生から、「富士文庫」創設にご尽力下さった神保町の古本屋さんのお話を投稿していていただきました。
その「富士文庫」ゆかりの古本屋のおじいさんが童話になっています。『おはようジャンケン』の主人公がその人です。
「富士文庫」創設に貢献した古本屋さんのお話
おはようジャンケン

先日、富士文庫で設立時の経緯に関する資料を見せていただきました。
その中に『東海展望』に掲載の「私財で県下一の図書館 富士文庫つくった佐野一夫氏」という記事があり、そこには佐野さんは第二次大戦直後の昭和20年9月24日から文庫設立に着手したとあります。
食べるものにも不自由であった終戦直後の混乱期にもかかわらず、佐野さんの工場の厚生課長だった植松氏と佐野さんの親戚で清水市入江小学校長(『東海展望』に記事が書かれた当時)だった鈴木和夫氏が休日の度に東京まで出かけて本を買い、闇屋さながら大荷物をかついで帰るのが常だったそうです。
その様子を見ていた東京神田神保町の森田屋という古本屋の親爺さん柏木さんが事情を知って本探しに大いに尽力してくれた。
この親爺さんはとても子ども好きで、佐野さんの富士文庫設立の趣旨を聞いて意気に感じ、営利を度外視して協力してくれた。鈴木氏は「全く富士文庫が出来たのは森田屋の親爺の協力おかげですよ」と回想しています。

さて、私はこの森田屋さんが現在でも営業しているのか、どうなのか興味をそそられ、調べるうちに「水谷哲也 読書日記」というブログに行き当たりました。
そこに森田屋の主人柏木さんのことが書かれていたのです。しかも絵本の主人公として。
ここに水谷さんのブログを引用させていただいて、森田屋さんのことを紹介します。
『私の見てきた古本界70年』南陀楼綾繁著 という本の中に“森田屋という古本屋があり、そこの柏木という主人が、今の八木書店・古書部前の横断歩道で小学校の交通整理をしていました。
交通整理をしながら子供と握手とじゃんけんをしたので「ジャンケンおじさん」と人気だったそうです。
これが1981年に『おはようジャンケン』という絵本となりました。マラソンが好きな変わった古本屋さんだったそうです。古本屋さんが主人公の絵本って見たことがないですねえ。”というものです。

こうなったら『おはようジャンケン』という絵本を見たい。住居地の大津市立図書館にあることが分かったので、早速借りてきました。こういう時は本当に図書館というものがあって良かった!と思います。
『おはようジャンケン』は大蔵宏之文、小林和子画、小学館から1981年に出版されています。
この絵本によりますと森田屋さんは柏木良之助さんという名前で明治30年生まれ。15歳の時に神保町のある本屋の店員になります。このときの主人がお金の無い学生には損をしても安く売る。店員の柏木さんにも「夜は好きな本を読んで勉強しな」と親切な人でした。
そして16年勤めて独立し、自分の本屋を始めました。その本屋を子どもの本の専門店にしました。
小川未明や浜田廣介の本を集めて売りました。坪田譲治もお客として訪れたそうです。本屋の2階では子供会をひらいてお話をしたり、紙芝居をしたりもしましたが、不幸なことに奥さんが病気で亡くなり、店も人手に渡すことになってしまいました。
その後は電話で注文を受けて自転車で配達する商売をすることになりました。
このころから皇居一週マラソンを始め、子ども達の登校時に交通整理をするようになりました。
自転車で本の配達をするうちに東京の交通事情では「子ども達が危険だ」と感じたのでしょうか。
青梅マラソンに71歳のときに参加したというお話も出てきます。絵本のあとがきには1981年当時で交通整理を30数年続けているとあります。この時、森田屋さんは84歳ですね。

森田屋さんが本集めに貢献した富士文庫は、今富士市の公立図書館になって鷹岡の子ども達やお母さん、近所のひとたちにいろいろな本を提供していることを知ったら親爺さんも喜んでくれるでしょうね。(堤 美智子記)


「富士文庫」開設時に撮った記念写真です。鷹岡町の方々が、この図書館に寄せた情熱を感じられるいい写真です。
前列一番左に館長さんご夫妻がいらっしゃいます。
昭和40年代にこの図書館で司書をなさっていらしたTさんより、貴重な写真をお借りいたしました。
富士文庫記念撮影
2008/03/15 11:18|街の図書館TB:0CM:4
富士市のお宝 「富士文庫」

富士市鷹岡に「富士文庫」というすばらしいお宝があることを知り、大学図書館司書を長年勤め終え、図書館司書を養成する仕事を第二の仕事として選んだ姉(製本講座講師)と共に、三月初旬に富士市鷹岡にある「富士文庫」を訪ねました。
終戦直後の昭和21年に、この地域の篤志家・佐野鉄工社主、佐野一夫氏により設立されました。
JR身延線・入山瀬駅に近い鷹岡小学校の隣に東海病院と共に設立されています。
佐野鉄工は、駅の北側に隣接していましたが、今は工場はなく、跡地は中央自動車学校になています。
戦後の何もない時代に、この図書館はどんなに地域の方々の憩いの場になったことでしょう。
現在は、もう少し北にある鷹岡中学の近くに移転して、鷹岡市民プラザと一緒の敷地内にあります。
富士市内が一望できる高台に建っています。
「富士文庫」

近くのバス停「富士銀座」から、一時間に一本しかない「曽比奈」行きのバスに乗って出かけました。
富士銀座バス停

JR入山瀬近くのバス停から、鷹岡小学校の小学生がどっと乗り込んできました。行き先を聞いてみると、かなり遠くから学校に通って来ているようです。
曽比奈行きのバスの中

友人に教えてもらったように「えのき沢橋」で降り、坂道を登るとスーパー銭湯「鷹の湯」というお風呂があり、その隣が市民プラザと「富士文庫」と呼ばれ親しまれている市立図書館でした。
こじんまりとした雰囲気の良い図書館です。
「富士文庫」エントランス

きっちりと整理された書架。ひっきりなしに利用者が出入りしています。
左側に仕切られた「富士文庫」の貴重な蔵書の数々。図書館全体の蔵書は約10万1千冊(うち児童書3万3千冊)。
「富士文庫」

館長さんや親切な司書のFさんに、昭和21年の開館からの貴重な資料を見せていただきました。
国会図書館長さんがお見えになったり、何と私の中高等学校の院長先生が講演にいらしていました。東京の片田舎の学校の先生がなぜ、この「富士文庫」でアメリカの図書館事情をお話になったのか?不思議なご縁に驚きました。姉も広辞苑を編纂なさった新村出先生の足跡を辿っていくうちに、静岡県立図書館の「葵文庫」にたどり着き、また葵文庫の館長さんが「富士文庫」にいらしていたりと、様々な接点が生まれてきました。
「富士文庫」稀こう書の納まる書庫

万葉集の膨大な資料もきれいに整理されています。
万葉集の膨大な蔵書

桐の慳貪(けんどん)に入った万葉集。
なぜ万葉集にこだわっているのかしらと調べてみると、この地域が万葉集に詠われているのですね。
鷹岡商工会のHPをご覧下さい。
万葉集

「鷹岡小学校」隣、昔の「富士文庫」と「東海病院」跡地は、県営アパートになっていました。
終戦直後に咲いた鷹岡の「文化の花園」は、時代を超え地域を越えて生き続けているはずです。
「富士の型染め」や俳句の会「笠雲」の生誕地なのですね。
かつての「富士文庫」跡地

帰りは、下り坂なのでJR入山瀬の駅まで歩きました。
駅近くの公園に北海道旭川を走っていた「D51」が!北海道の原野を走っている勇姿が目に浮かびます。
公園の蒸気機関車

その隣には「でこいち文庫」がありました。こんなステキな図書館があっていいな~。図書館好きな鷹岡地区なんですね。

でごいち文庫


2008/03/08 09:00|街の図書館TB:0CM:5
製本講座『応用編』
ご夫婦のコラボレーションで、こんなに素晴らしい本ができました。


先日、大盛況の裡に終了いたしました、「健ブリッジ大学」製本講座『和とじ帳を作りましょう!』 の後日談 をお知らせいたします。
富士中央図書館で開催されている「古文書解読講座」に所属していらっしゃるSさんのご主人。今、「竹取物語(たけと里物語)」を学習なさっているそうです。
(表紙のかな文字「つけと里物語」と読めますが、「多」→崩していくと「つ」のようなかな文字になります。ご存知の方も多いと思いますが・・・)
先日の「製本講座」に、奥さんがご主人の分厚いコピーをお持ちになりました。
こんな厚いコピーを製本できるかしら?先日の講習会で覚えた「四つめ綴じ」を応用して、ついにこんな素晴らしい本が出来上がりました。
器用なSさんは、ご主人に大変喜ばれたそうです。表紙もきれいな和紙を使っていらっしゃいます。穴を開けるのに、大変ご苦労さえれたそうです。
写真を撮らせていただきましたので、皆さんにもぜひご覧いただきたいとブログに載せてみました。
竹取物語1


竹取物語2

趣がある良い本が仕上がりました。
竹取物語3
2008/02/06 09:32|街の図書館TB:0CM:4

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